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東京地方裁判所 昭和32年(ワ)6337号 判決

原告 本田中

原告 福原信和

右両名代理人弁護士 桜井忠男

吉井規矩雄

被告 日東通商株式会社

右代表者 大島喜美

右代理人弁護士 伊藤幸人

主文

被告より原告両名に対する昭和三十一年六月二十二日付東京法務局所属公証人戸村軍際作成同年第二、六一一号債務弁済契約公正証書の執行力ある正本に基く強制執行は金十七万円を超過する部分に限り、これを許さない。

原告両名のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は原告両名の負担とする。

本件につき当裁判所が昭和三十一年八月十日なした強制執行停止決定は原告勝訴の部分に限りこれを認可し、その余はこれを取消す。

前項に限り仮に執行することができる。

事実

≪省略≫

理由

一、被告が原告等の主張する債務弁済契約公正証書の執行力ある正本に基き、昭和三十二年八月五日原告本田の有体動産に対して強制執行をしたことは当事者間に争がない。

二、先づ成立に争のない甲第一号証(前記公正証書)によれば、原告両名は昭和三十一年六月二十二日訴外宮坂正美の被告に対する金十九万六千八百円の借用金債務につき連帯保証をしたというのであつて、証人宮坂正美の証言中には右事実に符合する部分が存するが、ただちにこれを信用することはできず、他にこれを認めるに足る確証はない。むしろ成立に争のない甲第二号証によれば、同訴外人は同年五月十五日被告に対し、被告に対する借用金十五万円及び被告代表者個人に対する借用金二万円合計金十七万円を被告に対する債務となし、右金員については無利息とし且昭和三十二年五月より毎月五千円宛支払う旨を約し、原告両名は右債務につき連帯保証をしたことが認められるに過ぎないから、前記金十九万六千八百円中十七万円を超える部分につき原告等が連帯保証をしたとは到底認め難い。そして証人宮坂正美の証言及び被告代表者本人尋問の結果を綜合すれば、宮坂は昭和三十一年六月二十二日原告両名より委任状、印鑑証明書の交付をうけ、両名の代理人として被告代表者と同道の上、東京法務局所属公証人戸村軍際より前記公正証書の作成をうけたことを認めることができるから、原告両名の右公正証書作成につき宮坂を代理人に委任したことはないとの主張は理由がない。すると前記公正証書の契約条項中原告両名の連帯保証債務は金十七万円の限度で有効に成立したものといわなければならない。

三、次に被告が昭和三十二年五月二十五日付書面で宮坂に対し、同人の被告に対する借用金債務を免除する旨の通知をしたことは当事者間に争がないが、成立に争のない乙第二号証の一、乙第四号証の一及び証人宮道富子の証言、被告代表者本人尋問の結果を綜合すると、被告代表者はその頃被告会社経理係事務員宮道富子に対し、被告の宮内三郎に対する債務免除の通知を口頭で而も金額を明示することなく命じたところ、宮道は「宮内」を「宮坂」と誤聞し、帳簿上には宮内三郎及び宮坂正美両名の被告に対する債務がいずれも記載されていたため、宮坂に対して前記通知をするに至つたこと、ところが程なく被告代表者は右通知の配達証明書を発見して調査の結果宮道が誤聞に基いて右通知をしたことが判明したので、被告は宮坂に対し同年五月三十一日付内容証明郵便(乙第二号証の一)を以て前記債務免除の取消を通知したことを夫々認めることができる。してみると、前記債務免除の通知は相手方の同一性についての錯誤があつて、要素に錯誤ある無効のものというべきである。そこで右錯誤は表意者の重大なる過失によるものであるかどうかを考えてみるに、凡そ重過失とは表意者の職業、地位、行為の種類、目的等に応じて普通になすべき注意を著しく欠くことを意味すると解すべきところ、成程本件にあつては、債務免除という会社の経理上重要な事項について、これを命じた被告代表者が経理係事務員宮道に対し予め当該債務者、債務金額その他の指示内容をメモに記して手渡し或は又同事務員が作成した書面を発送前に確認する等の注意を怠らなければ錯誤による結果を避け得られたことは言を俟たないが、会社内部において上司が部下に対し一定の事務を命ずるにあたり、仮に重要な事項であつても口頭で指示することはあり得ることであり、証人宮道富子の証言及び被告代表者本人尋問の結果によれば、宮道は元会計事務所に勤務していた経歴を汲まれて昭和三十一年三月被告会社に入社し、昭和三十一年五月当時会計主任として経理事務一般を担当し、被告代表者としても同女を信頼していたこと、被告代表者は当時病気のため常時出勤していなかつたことが夫々認められ、したがつてかかる場合被告代表者が前記債務免除の通知を口頭で同女に指示し、又同女が作成した前記書面を発送前に確認しなかつたからといつて、必ずしも重大な過失があつたということはできない。以上により被告は自ら錯誤による無効を主張しえない。との原告両名の主張は理由がない。

四、なお被告は、宮坂が右債務免除の取消通知を承認して昭和三十二年七月九日前記債務の内金として金一万円を被告に支払つたと主張し、これが認められれば、原告両名は金一万円の限度で保証債務責任を免れるべきところ、成立に争のない乙第三号証によれば、同日付で宮坂が三井銀行丸ノ内支店に対し金一万円を入金したことが認められるけれども、右金一万円が如何なる性質の支払に充てられたものであるかについて何等の立証がなく、況んや前記公正証書の借用金債務の内金であると認めるに足る確証はない。

五、以上認定したことから明らかなように、前記公正証書の執行力ある正本に基く強制執行は、金十七万円を超える部分に限り、失当であるから、原告両名の請求はその限度においてこれを認容し、その余を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、第九十二条但書、第九十三条第一項本文、強制執行停止決定の認可、取消並に仮執行宣言につき同法第五百四十八条第一項第二項を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 斎藤次郎)

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